FF14|Patch 6.0 「暁月のフィナーレ」|旧FF14から続く壮大な物語の10年越しの完結編(メインクエスト感想)

FF14パッチ6.0「暁月のフィナーレ」のメインシナリオクエスト(MSQ)を終えた時点での感想です。

旧FF14(2010年)から続く壮大な物語の「10年越しの完結編」は、「漆黒」を越えたのか?

文章だけで物語の核心部分のネタバレはありませんが、未クリアの場合はブラウザバック推奨です。

1 6.0クリア時点の第一印象

まずは「無事リリースしてくれてありがとう!」というFF14開発・運営チームに向けての感謝と、「期待を裏切らないFFらしい話にしっかりまとまって良かったな」という安堵、がプレイし終わって感じたことですかね。

「暁月のフィナーレ」は、いわゆる「旧FF14」(パッチ1.xシリーズ、2010年9月30日スタートで2012年12月31日に正式サービスを一旦終了)から続く壮大な物語の「10年越しの完結編」という位置付けです。

直前でリリースが2週間伸びたとはいえ(当初の2021年11月23日から12月7日に延期)、私自身は、吉田P/Dを筆頭とする現在のFF14開発運営に対しては何の不安も感じていませんでしたし、もう「楽しみで仕方ない」と無邪気な期待しかしていなかったのが正直なところです。

とはいえ、小説でもマンガでも昔から長編ものって「作者が途中で情熱を失い、長らく音沙汰なしからの申し訳程度の完結編」とか、様々な外部要因の影響で「未完のまま放置」というものが少なくありません。

そんな中、現FF14はサービス開始から8年を経過しながらも今なお新規プレーヤーが増加し続けており、「作り手の情熱もプレーヤー・コミュニティの盛り上がりもますます盛ん」という文字通り稀有なオンラインゲームなので、「リアルタイムで経験できてホントにありがたい」という類のゲームだと思っています。

2 シナリオや演出に関する雑感

シナリオやゲームコンテンツに関し、内容に触れずにいったい何を書くんだという感じですが、 あの「漆黒」の後を受けて「暁月は漆黒を超えられるのか?」というのは、おそらく自分も含め多くの人の関心事かなと思います。

「そもそも比較する必要ねえだろ」とか「比較対象として適切なのか?」という疑問はあるものの、いずれまとめサイトなどでも話題に上るでしょうし、つたないながらも私個人の意見も書いておこうかなと。

率直に言うと、

  • 「暁月」はカットシーンでの声ありキャラの数が尋常じゃないうえ、キャラの演技(飲食やハグなどの日常的な動作やしぐさ、微妙な表情の動き)が圧巻。メチャクチャすごい。その他も含め、演出は明らかに漆黒から進化している。
  • 一方で、ストーリー展開としての謎解きや驚きといった要素は、やはり「漆黒」の方が上。
  • ただ、「暁月」にもちゃんと驚愕の展開は用意されているし、「漆黒」だけなく「旧FF14」(パッチ1.xシリーズ)、「新生」(パッチ2.xシリーズ)、「蒼天」(パッチ3.xシリーズ)、「紅蓮」(パッチ4.xシリーズ)の総まとめとして様々な真相が明かされて行くので、正真正銘クライマックスの話として間違いなく盛り上がる。

という感じです。


まあ、「漆黒」はそもそも起承転結で言えば「転」(読み手を驚かせるような変化)に位置する話だろうと思いますし、「紅蓮」まで積み重ねた諸々が(おそらく偶然も含めて)がっちり噛み合ったタイミングな気がするので、やはり簡単に比較できるような話でもないとは思います。
(漆黒のネタバレが嫌な方は見ない方が良いですが、「第53回FFXIVプロデューサーレターLIVE」や、GAME Watchさんの「FFXIV: 漆黒のヴィランズ」プロデューサー吉田直樹氏インタビュー」参照。)

また、①については「カットシーンが多すぎて、ゲームとしてどうなの?」という否定的な評価はあると思います。

私自身、カットシーンが多すぎるとシラケるというか没入できなくなる性格なので、あまり歓迎したくないタイプです。

なので、個人的には「ちょっとカットシーンが長すぎる or 多すぎる」と感じる場面は正直ありました。

ただ、この辺は個人差もあるでしょうし、そもそもゲーム内のキャラへの感情移入の度合い(好き嫌い)によるところも大きいと思うので、欠点というよりは「好みの問題」だと思います。

3 「暁月」ストーリー全体の印象

メインストーリーを終えたばかりの「今」感じているのは「意外と穏やかで、『救い』に焦点が当たった話だったなあ」という点です。

もちろん「FF」なので「泣かされる」展開や「絶望」する展開などは容赦なく盛り込まれています。

ただ、「蒼天」「紅蓮」「漆黒」に比べると、そういう展開の描写がやや抽象的というか、解像度が粗いというか。

まあ、「暁月」はクライマックスの位置づけなので、「めでたし、めでたし」という予定調和が前提になるのはある程度やむを得ないでしょうし、これまでに登場したNPCについても(消息も含めて)ちゃんと決着をつける必要がありますからね。

「絶望」や「どんでん返し」ばかりじゃまとまる話もまとまらんわ、というメタ的な考慮もあると思います。

それでも「決着」のつけ方は、全体としては何かしら救われる形が多かったんじゃないかなあ。

「いや、最後だから当たり前だろ」というのはもちろんあるんですが、「え!?こんなヤツまでちゃんと顛末を描写するの?」というくらい丁寧に描いていたように思います。

この丁寧さが「救い」という印象に繋がったというのもあるかもしれません。

なので、「物語としての救い」という意味も含めて冒頭で「安堵」と表現しました。

いずれにしても、今なおプレーヤーが増え続けているMMORPGなので今後もサービスや物語は続きますし、私自身は当分は遊び続けたいなと改めて思いました。

以上

参考記事

朝日新聞デジタルマガジンでの吉田P/D特別コラムです。
FF14だけでなく、オンラインゲームに興味があるなら読むと面白いと思います。

もしFF14に興味を持っていただけたら、フリートライアルで始めてみるのはいかがでしょうか?

こちらはFF14に興味を持って当ブログまで来ていただいた方に対し、大まかなプレイ度合いに応じてカテゴリー内の「行き先」をご案内するものです。

よければ一読してもらえると嬉しいです。

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